人は自然の美しさに感動するは本当か?

「人は自然の美しさに感動するは本当か?」

おはようございます!
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です。

TDLシリーズその3。

ディズニーランドといえば掃除。

今日はそこから感じた疑問
について書いていきたいと思います。

ディズニーの掃除について
たくさんの本が出ていますよね。

理想の世界を維持するために気をつけていること。

それが清潔な世界を維持すること。

キャストがほうきとちりとりで落ちているゴミを
早急に回収していくのは見ての通りだけれど。

閉園後の夜間にはパーク全体を
ホージングと言って水洗いしている。

それくらい清潔さと美しい景観には
気を配っている。

だからこそ素敵な演出を始める土台になる。
でね。

今回ふと花壇に目がいったのだけれど。

見事なまでにチューリップが咲きそろっていた。

もちろんキレイだな〜
と思ったのだけれど。

あまりにもキレイすぎるなとも感じたんだよね。

あなたがもしガーデニングで
チューリップの球根を植えたことがあれば
わかるかもしれない。

チューリップって、同じ日に植えたって
2〜3日くらいは咲くのに差が出る。

それに葉っぱの先っちょが痛んだり、
背が低かったり、花が歪んだり。

色々と個性ってものが出てくる。

まあ、僕の育て方が
雑だからってこともあるけどね。
植えたらそれっきり放置だし。

だけどディズニーランドで見たチューリップは
キレイに咲きそろっていたんだよね。

もしかして、最盛期のチューリップを
昨晩に植え替えたのか?って思うほど。

怪しんで近くで花壇の土を観察したけれど
掘り返したばかりの様子も見つけられず、
正直よくわからなかった。

だけど僕が思うに、いつもディズニーランドは
完璧さを維持している。

花が散って花弁だけになってる姿なんかないし、
枯れたままになってる花もない。

いつ行ってもキレイな「花ざかり」の花だけが
咲いているような記憶がある。

でね。

そのゲストのために最高の状態を維持する
という姿勢には感服するのだけれど。

はて。

それではしおれ始めた花はどうなってるのか?

そう考え始めたら少し切ない感じもした。

あれだけの品質というか環境を維持している世界。

花にしてみれば、9部咲き〜満開だけが
存在を許されているようなもの。

80点の花や、ピークを過ぎている花は

「最高のおもてなしをするには
お前じゃ役不足なんだよ」

と言われて除去されてしまう。
理想の花
そんなシーンが頭をよぎりました。

競争に勝ち続けたエリートだったら
そういった山の頂点だけに
フォーカスするのだろうけれど。

・・・どちらかというと落ちこぼれて
めいいっぱいの負けを経験している僕としては
取り去られてしまう花が気になりました。

華やかなステージに立つことはできなくても
どこかで誰かを和ませる花であってほしい。

ただ、ゴミとして、存在価値のないものとして
捨てられていたら悲しいから。。
まあ、そんなこと僕が言っても仕方ないけれどね。

それからもう一つ。

マークトゥエイン号に乗って
トムソーヤ島の周りを一周した時に気付いたこと。

水がさ・・・

キレイなんだよね。。

いや、もちろんいいことなんだけれど。

普通さ、よどみってできるじゃない?

たとえ海に向かって流れ続ける
川であっても、川の端っこに
ちょっとした吹き溜まりはできる。

そういう吹き溜まりに
藻やら、カエルの卵やらがたまる。

むしろそれが本当の自然じゃない?

だけど、ディズニーランドの池の水には
そういう汚いものが溜まっている場所がない。

あれだけたくさんの木々も植わっているし、
少しは枯葉が浮いていたのは見えたけれど。

本当だったら毎日枯葉がたまっていって
流れの悪いところに吹き溜まっていくのが
自然だと思うんだ。

だけどそういう場所がなかったんだよね。

きっと。

夜間の清掃の時間に湖のそういう吹き溜まりまで
さらってキレイにしているんだろうけれど。

もしそうだとしたら、それって自然の美しさなのか?

とてつもなく人工的なものじゃないのか?

そんな気もしました。

一方で、そういう清掃の行き届いた環境にこそ
人が感動するのだとしたら、自然じゃなくて
人工バンザイなのか?

そしてさっきの花壇のチューリップも思い出して、
「ありのまま」の自然の美しさでは不足していて、
「意図的で人工的な」美しさが求められるのか?

やっぱり「ありのまま」の僕じゃダメなのか?
感情は隠して書籍から借りた言葉で
人工的で立派な外面を作る必要があるのか?

そんなこと言ってる僕がここディズニーランドに
再来している理由は、意図的で人工的な美しさ
に感動しているからではないのか?

そんなことを考え始めたら
またグルグルと迷いの森に入ってしまいました。
やれやれ。
悩むのが好きなんだねって言われる所以だ。

いやね、理屈では答えはわかっています。

何も使っていない部屋だって、
放っておいたらホコリも自然とたまります。

キレイに保つようにたまには掃除をする。

人間も同じように、自分の欲求100%に
食う、寝る、遊ぶ、だけじゃなく。

心に自然とたまってしまうホコリは掃除する。

心にジャンクな情報をインプットするのではなく
美しく生きている人の生き様をインプットする。

「先に与える人になりましょう」

「悪い面ではなく、良い面に着目しましょう」

そんな理想的な人であるように、
理が通る行動をとる。

あるがままだけじゃなく、
意図的に、人工的に自分を磨く。

そういう磨いた自分は人工の自分ではなく、
成長した自分である。

まあ、そんなところ。
頭ではわかっているんです。

だけど頑張れないときはたくさんある。

そんな僕自身を肯定するために
書いているようなものだけれど。

成長目指して挑戦したり、
努力するのは素敵なこと。
はなまるです。

だけど時々サボってしまう僕も
僕の一部です。

自分を否定していても始まらないし、
別な人間にはなれない。

僕から始めるしかない。

だから、サボる僕にもまるをつける。

どこまでも、自分に一を足していくしかない。

そんなことに思い至りました。

あなたも、まずは自分をゆるし、
まるをつけて元気になったら
少し磨くことに挑戦する。

また、本音を隠して建前を装うことができるのは
ある意味ディズニーランド的なものでもあり、
おもてなしのやり方でもある。

それはそれではなまる。

そんな風にゆっくりと前に進んでいけば
良いのではないでしょうか?

ではでは。
祐也。

ゆーや。
”3つのステップ”であなたの「学び」を「行動と収入」に結びつける、
自分軸の作り方専門家の井上祐也です。
(サービス内容:セミナー講師、カウンセリング)
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