謙虚さの美徳に隠された最大の欠点

「謙虚さの美徳に隠された最大の欠点」

おはようございます!
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です!

降ってきたように気づきました。

僕は一人一人が自分の軸をもち、
勇気と自信を持って生きていく
社会づくりに貢献する。

そんな理念を持っています。

なぜなら、過去に自信を失い、
何もできなくなったことがあるから。

(だから臆病な勇者にも共感したんだよね。)

で。

それにしてもなんで自信がなくなったのか。

どこから自信をなくす方向に行っていたのか。

いつから自信をなくす慣性が働き、
その力が大きくなって行ったのか?

「あの人は根拠ない自信があっていいなぁ」
そう思ったことはありませんか?

もちろん、他人から否定されたり、
ダメだしをもらえば自信を失ったりするけれど。

でも一方で他人から言われても
気にしない人だっている。

ぼんやりと考えていた時に一つ思い当たった。

自信のなさにつながるもの。

それが、日本の美徳とされている
「謙虚さ」なのではないだろうか。
謙虚さの欠点

謙虚さは美しいものだ。

見栄を張らず、相手を立てる。

相手にエネルギーを与えるもの。

だからこそ、相手と気持ちよい人間関係を
作り上げることができる。

ただ一方で。

相手を立てるために、自分がへりくだる。

それは言い換えると、
「根拠なく自己評価を悪くすること」
にもつながる。

「いえいえ、大したことないですよ」

「わたしなんて、まだまだです」

「僕なんて全然ですよ」

あなたは、そういう言葉を子供の頃から
いったい何回使ってきただろうか?

立派な言動を誇らない。
内に秘めることで奥ゆかしさがにじみ出る。

それはすごくわかる。
武士道的なかっこよさ。
大和撫子的な美しさ。

日本人は謙遜することを美徳として
育てられるから、多くの場合はその姿が
「かっこいい人」「美しい人」と思われる。

だけど。

言霊と言われるように言葉には力がある。

「わたしはたいしたことない」

そう発した言葉が現実を引き寄せる。

繰り返し繰り返し練習し、発言したおかげで
考える間も無く反射的にその言葉が出てくる。

潜在意識から
「わたしはたいしたことない」
と発し続けている。

それが根拠なく自信を失わせていく
慣性の働き始めだったのではないか。

物事には何事にも陰陽がある。

謙虚さの美しさの裏には
自己卑下の影も生まれる。

そんなことに気がつきました。

日本人は自己主張が弱いとか、
自己評価が低いとか言われることが多い。

でも逆に、相手に敬意をもって接する
謙虚さを表しているとも言える。

外国から見たら日本は安心できる国。

そんな印象を国全体で与えられることって
それはそれですごいと思う。

だから一概にはどちらかがいいとか悪いとか
言えないのだけれど。

謙虚さや謙遜のエネルギーの形として、
自分を下げて相手をあげるのはやめにする。

「おかげさまで」という感謝の形にする。

感謝をする側にも、感謝をされる側にも
両者にエネルギーが降り注ぎ、共に良くなる。

誰かが得たら誰かが失うゼロサムではなく、
世界にエネルギーがますます増えて行く方向。

そんな世界にしていきたい。

そんなことに思い至りました。

・・・っとまあだいぶたいそうなに
なってしまったけれど。

まずは僕の身の回りから
「ありがとう」を増やしていきます。

ではでは。
祐也。

ゆーや。
”3つのステップ”であなたの「学び」を「行動と収入」に結びつける、
自分軸の作り方専門家の井上祐也です。
(サービス内容:セミナー講師、カウンセリング)
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